目標に向かって焦らずに進む マラソンと投資信託は似ていますね

スポーツジャーナリスト増田明美氏

1964年千葉県生まれ。高校在学中より長距離種目で次々と日本記録を樹立し、84年のロス五輪に初の女子マラソン代表として出場した。現在はスポーツジャーナリストとして執筆活動やマラソン中継の解説に携わるほか、テレビ、ラジオ番組の出演など多方面に活躍中。大阪芸術大学教授、厚生労働省健康大使、公益財団法人プラン・ジャパン評議員を務める。

増田明美氏


高校時代から長距離種目で活躍し、ロス五輪で女子マラソンの代表に選ばれた増田さんにとって、またマラソン選手にとってオリンピックはどのような存在なのですか。

オリンピックはいろいろな大会の最高峰であり、まさにエベレストの頂上に向かっていくようなものです。選手だけではなくコーチ、トレーナー、スポンサー、マスコミなど関係者全員が長い時間をかけて準備してオリンピックという大舞台に臨みますので、一人ひとりの気合いのようなものが合わさって、緊張感だけではない切羽詰まった独特の空気がありました。何か大きな渦の中にいるような感じだったことを覚えています。

増田さんがマラソン代表として出場したロス五輪は、女子マラソンが初めてオリンピックの正式種目になった大会でした。初めて尽くしのまったく経験則がない中で、戸惑いはなかったのでしょうか。

何よりも大変だったのは、前例がなかったことです。現在は科学的・理論的なアプローチ方法によるトレーニング法や、疲労の回復を早めるためのサプリメントや栄養管理士による食事のアドバイスなどさまざまな研究が進んでいますが、当時はそういった情報収集や経験則が不足していましたね。

オリンピック代表になる人はもともと気持ちが強く度胸もあると思うのですが、同時に責任感も強いため、調子が悪いときは周囲の声援が重圧になってしまうこともあります。私は大スターの瀬古利彦さんにちなんで「女瀬古」というニックネームをいただいてしまったので、余計に期待されてプレッシャーが大きかったです。石川遼選手や浅田真央選手のように、海外での大会や大きな舞台で若いときから場数を踏むことで本番に力を発揮できるようになると思うのですが、当時の私にはその経験が足りなかったと思います。

現役時代は実業団に所属していたので会社員というお立場でしたが、お金の管理はどうされていたのですか。

管理するほどお金がなかったんです。数々の日本記録を作ったりオリンピックに出場しても月給は十数万円で、大卒会社員の初任給とほとんど変わらない金額でした。また、オリンピック代表に選出されたときは、大会本番までの8カ月間ほど日本陸上競技連盟から毎月3万円の栄養費をいただきましたが、いずれにしても資産管理というほどの額ではありませんでした。

在、アマチュアスポーツ選手の置かれた環境はかなり変化してきています。日本の場合、オリンピックで金メダルをとると300万円の報奨金が出ますが、それに加えてメダリストという重みができるので海外の大会で走るときにアピアランスマネー(出場料)がでることもあります。その他にも所属している会社からの資金援助など、いろいろな面で収入を得る機会ができます。そのため若いうちから陸上競技の世界に入る人が増えて、選手の層が厚くなったと思います。私の後には有森裕子さんが2大会連続でメダルを獲得したり、高橋尚子さんや野口みずきさんは金メダリストになりましたから。私が現役の頃は、アマチュアスポーツ選手はCMに出ることもだめだったことを思うと、隔世の感がありますね。

増田明美氏

その後1992年に28歳で現役を引退し、会社員という安定した立場からフリーランスになったわけですが、引退後のライフプランを立ててから行動されたのですか。

引退後の計画はまったくありませんでした。実業団に所属していたときは、先ほどお話したようにそんなに高い報酬ではなかったのですが、実業団チームで何カ月間も合宿をしていたのでお金を使う時間もないし、おしゃれな洋服を着て出かける場もありませんでした。そのためある程度の蓄えはありましたし、実家が南房総で専業農家をしているのでいざとなったら帰る場所もありましたから、何とかなるだろうという気持ちでいました。しばらくは競技生活の疲れを癒すことと並行してスポーツライターとして執筆活動をしよう、とにかくできることをやっていこうという思いでコラムの執筆を開始しました。当時は1カ月あたりの原稿料は3万円でした。また子どものときからおしゃべりだったこともあって、実況解説など話す仕事にも取り組むようになりました。

現役時代の私には、悲壮感が漂っているというイメージが強かったらしくて、お会いしたメディア関係の方々から「増田さんはすごく明るいんだね、この意外性だけでも武器になるよ」と言っていただいて。ラジオの仕事をするようになって最初にお会いした永六輔さんからは、「興味がある人には会わなければいけない、会いに行ってその人の肉声や表情を感じ取ることが大切だ、材を集めることが取材」とのアドバイスを受けました。そのおかげで、解説をするときには絶対に取材が大切だということを教えていただきました。


※2012年3月8日時点の内容となります。

※このインタビュー内容は、個人の発言に基づき構成されており、投資信託協会がその内容を必ずしも保証するものではありません。