天野ひろゆき氏

1970年生まれ。愛知県出身。1991年、ウド鈴木とともにコンビ「キャイ~ン」を結成。ウドの天性的なボケと天野の鋭いツッコミで人気者となる。「リンカーン」、「もしもツアーズ」、「プレミアの巣窟」など数多くの番組に出演するほか、ドラマ、映画、ラジオ、舞台への出演や映画監督など、多彩に活躍している。201111月には、ウド鈴木とともに2冊で一組の「コンビ新書」となる、ウド鈴木著「天野く~ん!」 天野ひろゆき著 「な~に、ウドちゃん?」(共に、マイナビ新書)を発売。

まずは天野さんが芸能界に入ったきっかけから教えてもらえますか。

基本的には、自分がやりたいと思ったことをやり続けてきただけなんです。もっとも、それが一番ぜいたくなことなのかもしれませんが。高校生くらいのころから、「自分らしく生きるには……」みたいなことをずっと考えていて、その場がたまたま芸能界だったということです。もともとお笑いはもちろん、テレビの世界も好きでしたしね。普通に就職するということは、まったく考えませんでした。そこはやはり、尾崎豊に多大な影響を受けていたもので(笑)。

まあ、今から考えると、景気が良かったからできたことかもしれませんね。当時はまだバブルの余波が残っていて、就職も売り手市場の時代でしたから。本当に切羽詰まった状況だったら、そんな余裕もなかったでしょう。

具体的には、オーディションか何かを受けたんですか。

たまたま広告を見て、今の事務所に電話してみたところ、「はい、どうぞ」とすぐに入れたんですよね。芸能界って意外と簡単だな、と思った(笑)。入れてくれるなら入ろう、そんな感じでした。

天野ひろゆき氏とはいえ、事務所に入ってからのほうが大変だったのでは?

それが僕の場合、売れるのはかなり早いほうだったと思いますね。なんといっても、ウド鈴木という「超特急券」がありましたからね。もっともその分、後で苦労することになるわけですが(笑)。

いわば飛び道具ですね(笑)。

まさに(笑)。実はウドちゃんのほうが先輩で、僕と組む前にもピンでやっていたんです。ですから、そのポテンシャルの大きさはすごく感じていました。

先輩というのはちょっと意外です。

周りからもそう見られていないみたいですが。実はいつもリスペクトの気持ちで頭を叩いているんですよ(笑)。

なるほど(笑)。とはいえ、芸人さんは売れるまでの間、アルバイトをするなど苦労する場合が多いようですが、そうした経験はあまりされていないわけですね。

僕は事務所に入る時に、「大学卒くらいの給料をくれないなら嫌です」と、ダメもとで宣言しているんです。すると、ちゃんとそれなりのお給料をくれましたね。昔から、そういう“はったり”だけは得意だったみたいです(笑)。今の若手は、そんなことまず言えないでしょうね。ライブに1回出たって、せいぜい500円くらいという世界ですから。

むしろバイトは高校時代によくやっていました。レストランとか、ゲームセンターとか。いつか一人暮らしをしたいと思っていて、いろいろな経験をしておきたかった。自立心がすごく強かったんですね。尾崎的に言うなら「自由が欲しかった」ということです(笑)。

だから金銭感覚もしっかりしていたということなんでしょう。そうでなければ、いきなり事務所と給料の交渉なんてできませんよね。

確かに、そこはしっかりしていたと自分でも思いますね。生活力もすごくある。今でも四畳半の部屋に住んで、月に数万円あれば生活できる自信はあります。モノが無ければ無いなりの生活もできるというね。

それと、言いにくいことでも、後回しにしないようにはしています。お金のことってやっぱり言いにくいけど、そこは僕が矢面に立って、ウドちゃんは後ろで見ている(笑)。なにもお金のことばかりでなく、後回しにしないことって、生きていく上では大事なことでしょう。特にこの世界はある程度は主張しないといけないので、あえて言うように務めているところはあります。

しかも、言ったからにはそれだけのことをやらなければいけないという、責任感も出てくる。これだけのことを要求するのであれば、言うだけではダメだと。それは自分を追い込むことだと言い換えてもいいかもしれませんね。

 


※このインタビュー内容は、個人の発言に基づき構成されており、投資信託協会がその内容を必ずしも保証するものではありません。